トータルフットボール 別館

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アメリカ・ワールドカップ(1994年)
初めてリアルタイムで見たワールドカップ。でも、残念ながらライブで試合を見た記憶はほとんどない。ロマーリオやバッジオといったスター選手の名前をかろうじて知っている程度の知識だった

グループリーグで光ったのは、開催国のアメリカ。優勝候補の一角と目されたコロンビア、ハジを擁するルーマニアと同じグループに入る不運もあり、グループリーグ突破は不可能とされていたが、全員サッカーで見事にグループリーグを突破。決勝トーナメント1回戦で、ブラジルに0対1で敗れたが、さわやかな印象を残して大会を去っていった。

当時の2大スーパースターだった、ロマーリオとバッジオは対照的な足取りで決勝までたどり着いた。安定した守備をベースに危なげなく決勝まで進んだブラジルと、何度も敗退の危機を乗り越えてきたイタリアの決勝戦。大会中の怪我から決勝戦のためだけに復帰した不屈のバレージがロマーリオを完封したが、バッジオもゴールを奪えず、史上初のPK決着となった。結局、バレージとバッジオがシュートをふかすという信じられない結末で、ブラジルが4度目の優勝を飾った。

この大会で光ったのは、東欧のマラドーナといわれたルーマニアのハジと、伏兵ブルガリアのエース・ストイチコフだった。ともに、左足一本でチームメートを服従させてチームを掌握し、自ら決定的な仕事をし続けた。プレッシングサッカーが全世界に広まるちょっと前の、まだ、王様プレーが許された時代の最後の英雄だった。

戦術的に目立ったのは、ブラジル代表が多用したサイドバックのオーバーラップである。右サイドバックのジョルジーニョと、左サイドバックのレオナルドが、果敢にサイドを駆け上がるスタイルは対戦相手の脅威となり、その後、世界スタンダードでは、これまでは守備的な選手多かったサイドバックに、攻撃力も求めるようになった。

負の部分としては挙げられるのが、欧州のゴールデンタイムにあわせた無謀なスケジュール管理のため、大半の試合が真夏の炎天下で行われ試合内容が乏しいものが多かったこと、そして、期待されたマラドーナが大会期間中に薬物違反で追放されたりこと、オウンゴールをしたコロンビア代表のエスコバル選手が射殺されたことである。スキャンダルの多い大会だった。